AYDAとは?
藤原今日は、「新しいコンペのあり方」がテーマです。
まずはAYDAについて、僕から簡単に説明しますね。
一昨年からこのコンペの審査員をしているんですが、最初はよく分からずに引き受けてしまいまして、実は全然普通のコンペじゃなかったんです。日本ペイントは、世界を代表するグローバルな塗料メーカーなのですが、例えば、建築の色が変われば町の色が変わるし、世界の色の在り方が変わるという、そんな文化をつくっていくために、建築における色の教育に関わろうとしてコンペを始めたという話を聞いて、めっちゃいい話だなと共感しまして。
そして、今年度もまた審査員を依頼してもらったので、今年は審査員やテーマを選ぶところから関わりました。
まず最初に、思いついたのが中山さん。中山さんはもう長い付き合いなんですけど、同世代でずっとライバルとしてがんばってきた、最も信頼できる建築家なので、一緒にできたらいいなと思って選びました。
あと、審査員長は、一般的なコンペであれば、年功序列的になるんでしょうけれども、そういう雰囲気も好きではなくて。審査員長って、最終的に票が割れたときに、決める人なんですよね。
だったら、若い世代から審査員長呼んだ方がおもしろいんじゃないか、そう思って、最後に決められる勇気のある人として、中川エリカさんに決めました。
このコンペの企画にあたって、重要なのは、勇気と本質的なことをやりたいという2点と考えています。
そして、ポスターとかグラフィックのデザインは古平さんにお願いすることになりました。
古平さんには実は隈事務所時代に、一緒に仕事をしたことがあって、その印象が忘れられなくて。
こういうちょっと過激な人とやるのもよいかなと思ってお願いしました。
今年のホームページ皆さん見てますかね?これもライゾマティクスと古平さんでやってくれているんですけど、これがまず、非常にかっこいい。
古平さんまずは、ホームページの話をしてもらえますか?
古平去年からポスターのデザインをやってるんですけど、去年まで、ホームページは日本ペイントのROOMBLOOMというブランドの中に入っていたんですね。会社のホームページの中に、このコンペの情報が載っているというイメージだったんですけど、今年は独立させようという話になって。
そのときに、テーマが「色のはたらき」となったんで、日本ペイントのコンペで色がテーマだから、それをダイレクトに出そうということで。
WEBサイトとポスター両方をやるときは、メインのビジュアルアートディレクションを先に考えて、それを展開していくというのが普通のパタ−ンなんですけど、今回はあえてそれをやめてみようと考えました。
WEBが先に必要だから、WEBを思いっきり、ポスターのことを考えずにつくろうと決めて、せっかくライゾマティクスとやるので、それをうまくポスターや、チラシに展開する方法を考えようということで、やってみたんですね。
だから、ポスターとかチラシは文字が切れているんですけどWEBで登録しないといけないので、基本的には絶対にWEBにいってもらわないといけないんですよね。
あと、チラシは4種類あるんですけど、それはWEBで組み立てたプログラムを使って、レイアウトを変えたチラシをつくりました。
藤原それが面白いですよね。
WEBとポスターの関係性、インタラクティブなメディア、動的なメディアと静的なメディアの関係が、これからどう変わっていくのかというのは、クリエイティブの根幹に関わる話ではないかと思います。
建築に照射して考えると、いろいろと考えさせられます。
昔私が学生時代のときに、インターネットによって、建築がいらなくなるという議論もあったんですけど、むしろ建築のデザインは進化しているように思います。
コンペにかける想い
藤原去年は、このコンペのテーマも「2030年のコミュニティと建築」というすごくソーシャルなテーマだったんですね。
それもそれでいいなと思っていたんですけど、今回のテーマの話をしようと、中山さんと飲んだときに(中山さんは既に出来上がってて)そこで中山さんのコンペにかける熱い想いがあって。
僕的には、それにすごく感動して、この話を学生に聞かせてやりたいなというのが今日のイベントのきっかけでした。
印象としては、二人とも大学で教育もしているというのもあるんだけど、一個僕が文句いったのは、学生が、ある種コンペをアルバイトか就活の一環として思っているということ。
おいおいおいという感じで。
学生が未来に向けてアイデアを考える場をつくるというのは本当に重要なことで、コンペ自体にも長い歴史があります。企業が儲かっているから、ついでに新入社員集めとこうか、学生も就職活動の一環やあるいは賞金の高い順に出すバイトみたいな現在の状況はどうだろうか、と思います。
中山コンペって僕好きなんですよね。
人と競うのをあまり是としない社会になりつつあるようにも思うのですが、建築の世界にさまざまなレベルで多様なコンペがあるというのはとてもすばらしいことだと思うんです。
建築のコンペって、特にルールブックがあるわけではないのに10代でも巨匠でも同じグラウンドで競い合うことができて、答えも決まった正解があるわけではないのだけれど、良い案は全員一発で「これが一等」というのがなぜだか分かっちゃう。個性的な固有解が輝くこともあれば、もっと普遍的な提案が心を打つこともあって、評価軸にも決まったものがあるわけではないのに、もうこれしかないよね、というムードがなぜか現れてくるという。
そこに取り憑かれた人たちが、人生をかけて競いあっているというのは、美しいことだと思うんですね。
だからこそ、そんな場にアイデアを放つことが、自分が一生やり続けてもよいと思えるような署名付きのステイトメントになっているのか、そこのところにあまり答えを持っていないようなものを見るのは嫌だ。なんとなくそんなようなことを話していた気がします。
振り返ってみると、忘れられないコンペ案みたいなものはあって。
テストやスポーツでも、この人さえいなければ、と思い浮かべる顔が誰しもひとりやふたりいますよね。僕にとってそういう名前に出会ったのがコンペの紙面発表だった。
彼らは今も変わらず同じような存在ですが、当時のコンペ案には既にすべてがあるんですよね。
紙面発表の小さな小さなビジュアルが僕たちの頭のなかに作り出した新しいイメージの延長線上に、今も彼らはちゃんといる。僕はそういうようなものに出会えないような審査員はやりたくない。
だから、ちゃんと本質的なことを問うテーマにして、こういうのが今の社会性だから上手に答えましょう、みたいな話ではなくて、それを提出した人がその問題を一生のテーマにできるような、そういう問題意識をぶつけられるような課題にしようよ、藤原君。みたいな、確かそんなことを話していたような気がしています。
学生の姿勢-コンペとはなんだったか
中川今の中山さんと藤原さんのお話のなかで、就職活動としてのコンペはよくないという話がありました。それは、企業が学生を囲い込むような状況という意味でしょうか?
自分の話になってしまいますが、私の世代は、そもそも学生向けのコンペがもっと少なくて、あの建築家のところで就職したい!というときに、ポートフォリオ代わりにお目当ての建築家が審査員のコンペに応募する、つまり、自分の思想をぶつけたものでコンペに応募して、入選すると、表彰式で会って直接話をすることができて、就活の相談をする、という風潮がありました。
藤原僕が学生の頃は、あんまりそういう感覚はありませんでした。その頃は、まだ見ぬライバルとの戦いであって、歴史との戦いでもあるし、言って見れば審査員との戦いもある。
危機意識もあったんですよね。建築家なんか到底なれるわけもないという感覚もあったから、何か本当に自分がそこで歴史的な壁を突破できるのかなという、焦りみたいなものがみんなあって。
中川会いたいっていう気持ちもあるのですが、その会いたいは、単にファンが会いにいくという感じというよりは、自分の考えをぶつけて、何を言われるかを知りたいという、今後の人生をかけた挑戦状のようなところであって、それはある種、1回きりのコンペ案というよりは、自分の考えの道筋というか、建築人生のあるターニングポイントとして案をつくるというところが、あったと思います。
建築とプレゼンテーション
古平建築のコンペってグループで応募することが多くないですか?
別のコンペのポスターを手掛けていて、30年続いたそのコンペの記録集を最後に作ったんですけど、昔は一人でやっていたのが、だんだん時代が経つにつれて、人数が増えちゃってるんですよね。
でも、多少建築のことを知っているグラフィックデザイナーとしては、昔の1人でやっていたプレゼンの方がいいんですよ。なんでそうなっちゃったのかなと…。
中山確かにそれはありますよね。新鮮な思想を直截に伝えるという意味で、建築のコンペってグラフィックデザインだったりします。
でも、僕の周囲を見ても、尖った子にはグラフィックデザインの兆候をかなりまじめにチェックしている学生、ちゃんといますよ。分かりやすいインフォグラフィックを参考にするとかいう意味ではなくて、もっと思想的なレベルで。
たとえばこのコンペのポスターは、明らかにWEB以降のグラフィックデザインですよね。動いたり変化したりすることがあらかじめフォーマットに織り込まれていて、紙としてのアウトプットというのは、動いている別の実体の一断面として街にある。そうじゃない場所が別にあることが前提になっているデザインだから、ポスターには全情報をレイアウトする必要はないけれど、断片を示すことで情報の存在はちゃんと伝わる、という。つまり紙のポスターは、そこに書いてある情報というよりは、そこにはないシステムの存在を伝えるものになっている。いわゆる、続きはWEBで、みたいなことをグラフィックデザインの問題としてちゃんと消化する。古平さんが示したのは、そういう新しいアイデアだったと思います。
このビジュアルがどうこう、という次元ではない場所にこちらを引っ張り出すという意味では、建築のコンペも同じなんですよね。
だからコンペの、最終的なアウトプットはグラフィックデザインとしても、衝撃的であってほしい。
藤原海外コンペで勝負するとなったら、一瞬で伝わらないと絶対勝てないわけですよ。
わざわざ、アジアのしかも英語がめっちゃ下手な日本人建築家に特別な建築を依頼するというときには、最初から圧倒的でないと、面倒くさすぎて、彼らがコミュニケーションコストを払う理由がないんですよね。
だからぶっちぎりでないと勝てないという感覚を、国際コンペに参加する日本の事務所はどこも持っていると思います。だからこそ、プリントアウトした瞬間、絶対に負けるはずがないというレベルに到達していないとという感覚はありますね。
そうやって、戦っている人たちが大学でどう過ごしていたかというと、やっぱりコンペで、歴史的なドローイングにどうやって向かうかという意識があったと思うんですよね。
だから、アイデアコンペで、賞金ではなく、いっぱい勝ったとかでもなく、空間について何か特別なドローイングの描き方について考え続けていれば、その先には世界で戦うフィールドが続いていると思うんです。
そういうところを見る審査員で僕らもありたいと思うし、できればそういうのを示してくれると嬉しいなというのはありますね。
審査員としての思い
中山自分のことを話してしまうと、建築家になってみたいなと思ったきっかけは、家の近くにGAギャラリー※があったことなんですけど、最初に入ったときにやっていたのがザハ・ハディドのドローイング展でした。
それで、衝撃を受けて、大枚はたいてドローイング集を買ったんですよね。
その当時ザハは確かまだ実作がひとつもなかったのですが、本のはじめに磯崎新さんが、この才能とどのように出会ったのかを書かれていたんです。
ザ・ピークと題された、香港の丘の上に建つゲストハウス付きの邸宅の国際コンペがあって、磯崎さんは審査員でした。世界から大量の応募があったのでプレ審査が行われていて、主催者の手であらかじめ審査対象が絞られていた。けれども、残った案に目に留まるものが見つからず、磯崎さんは捨てられていた方の山に手をつけたんですね。そうしたら中からザハの提案が出てきた。要綱を大胆に逸脱した案で、それゆえに外されていたのですが、磯崎さんはこれしかないと思った、という。そんなエピソードが書いてあったんです。結局実現しなかったことも手伝って、ザ・ピークのコンペはザハの神秘性を作り上げました。それで、僕もいつかこの人みたいに磯崎さんに見つけてもらうんだって夢をみた、という(笑)。
磯崎さんに見つけてもらうことはまだできていませんが、僕も自分が審査をするなら、要綱を批評的に再解釈してしまうような強い提案を、見逃さずにちゃんと拾い上げたいなと思います。
そして願わくは、その選んだことがその人にとっての物語になって、建築家としての人生を積み上げていく何かになってくれたらと思います。
ザハが僕のような人間にこういった場所で語られ続けるように、誰かによってその人や提案が語られ続ける。コンペってそういう場だと思うんですよね。
大げさなと思われるかもしれませんが、こちらはそれくらいの気持ちでいるし、そうでないような場所にはあまり関わりたくないなと思います。A1一枚で建築史を変えてしまうような力がコンペにはあるし、こちらもそういうものに出会ったら、全力で伝説にする用意はできているぞ、というつもりで待ってます。
※建築専門の出版社 A.D.A. EDITA Tokyoが運営するギャラリー
古平僕だけ、今ここで建築家じゃないんですけど、コンペに関わらず最近の日本の建築って全体おとなしくないですか?
藤原おとなしいですよ。
中川卒業設計にしても、若手建築家の実作にしても、傾向と対策みたいなものができてしまっていて、その反復がすごく多いのかもしれません。
すでに知っているものを大事にしすぎて、まだ知らないものをおもしろがれる覚悟が弱まっているかもしれないなと思います。
今回のコンペでは、知らないものに挑戦しようという勇気や、自分の提案自体が問題になっちゃうような状況をつくろうという覚悟をみたいと思っています。このコンペの形式自体も、まず日本で選ばれて、アジアに出て、ハーバードに行くかもしれない、という、各タームを経ることでどんどん人が育っていくことが考えられている。だから、人を選ぶコンペでもあると感じるんです。
従来のコンペだと一回きりの絵がうまいかどうかで選ばれることもあるかもしれませんが、提案やグラフィックを通じて、その人自身がもつ骨太な思想を選びたい。人を問うようなコンペはすごく少ない中で、私たちも情熱をもって審査にあたらなければ、と思います。
藤原今回のコンペは日本で勝つと、アジアの大会に出られて、そこでいろんな国の学生と一緒にデザインセッションを経験できる。そこでも勝てれば、今年からはハーバード大学のサマースクールに無料で招待されることになっています。ものすごいチャンスだと思います。コンペというのは、夢を現実にしていくような特別な場面だと思います。勝っても負けてもすごく成長がある。
紙1枚に、どれだけの熱量を込められるのか、あるいはどれだけクールなアイデアを示すのか、審査員として学生の皆さんの批評的な応答にものすごく期待しています。またせっかく次世代の才能の教育が目標になっているコンペなので、優秀学生以上に対しても、特別な研修プログラムを組むようなことも考えていますので、その点も楽しみにしていて欲しいです。